2018年08月02日第8回 ジュビロ磐田監督 名波浩氏

監督の心得は「6:2:2の法則」

――これまでクラブや代表チームで名波さんが影響を受けた監督はどなたですか。

名波 フランス大会の時の監督は岡田武史さん。岡田さんの影響が大きいかそうでないかといえば、それほど大きくはないかもしれません(笑)。接している時間もそれほど長くなかったですし。
 ただ、心に響いたことはたくさんありました。岡田さん自身が代表選手やコーチとしてたくさんの経験をされています。その経験を選手に伝える時の話術はすごいなと思いました。それと決断の早さ。さらに選手と共に成長したいという強い気持ちですね。
 1998年の代表当時、何度か監督室に呼ばれて戦術の話を聞きました。普通は全体ミーティングやコーチングスタッフのミーティングで話すことです。一人ひとり選手を呼んで、話したり意見を聞いたりする。そんな監督は初めてでした。当時、プロになって4年目でしたが、そんな監督はいませんでした。
 一人の選手である私が呼ばれて、「これどう思う?」と聞かれても、監督に向かってどうこう言えないじゃないですか。「岡田さんがそう言うなら、それでいいんじゃないですか」なんて受け流していたら、「なんだ、その言い方は!」なんてやりとりがあったくらいです(笑)。

 岡田さん以外では、2002年にジュビロ磐田が1stステージ、2ndステージともに優勝で完全制覇した時(当時は前半後半の2ステージ制)に監督だった鈴木政一さん。今、J2のアルビレックス新潟の監督をされていますが、鈴木さんも岡田さんと同じように、選手と一緒にチームを育てたいという思いの強い監督でした。ジュビロ磐田のような地方クラブで予算も潤沢ではない中で、チームを強くしたいと選手とスタッフが同じ思いを持っていたことが強さにつながりました。

影響を受けた監督について語る名波浩氏

 “ドーハの悲劇”の時の代表監督だったハンス・オフトさんも印象が強い一人です。私が現役を引退する時にはジュビロ磐田の監督に戻っていました。その時に言われたことが、「早く監督をやれ」ということと、「チームづくりには6:2:2の法則がある」の2つ。
 「6:2:2の法則」とはこういうことです。
 「チームのうち、60%の選手は監督の方を向いてくれる。20%は、どうせ試合に出られないし、出場機会を求めて移籍もしたいしケガもしたくないし、とそっぽを向いている。残りの20%がどっちつかずにいる。その最後の20%を監督の方に向かせたらチームは一つにまとまる」
 今回の代表チームでは、西野監督が本田圭佑選手や香川選手、岡崎慎司選手といったベテランでキャリアのある選手を自分の方に向かせることにパワーを集約させていたのではないでしょうか。それが早い段階で自分の方に向いてくれたので、チームビルディングはすごく楽だったのだと思います。プロの選手たちを束ねて同じ方向を向かせ、チームビルディングするのは実際大変なのですよ。

――名波さんはそのチームビルディングに苦労されながらも、2017年シーズンは6位、今シーズンも中断前までの段階で8位と上位をキープしています。

名波 2018年シーズンで監督5年目。ジュビロ磐田では最長の監督在任となりました。ここまでやってこられたのは、結果至上主義ではなかったことが良かったのかなと思っています。主力選手やスタッフには、「勝敗度外視で楽しければいいよ」と話しています。それで結果もついてきています。だからこそ、ジュビロ磐田の監督はまだ続けたいと思いますね。海外の代表チームでも10年以上チームを率いている人がいます。日本は4年周期とかでコロコロ変わるけど、良ければずっと続ける方がいいと思うし、日本代表に入りたいというよりも、「あの監督のあのサッカーをやりたい」と思う選手がいてもいいと思うんです。

日本のサッカーを強くするには組織力をしっかり磨くことが大切、と語る名波浩氏

 今回のロシア大会を見ても、日本のサッカーは国際基準にまだまだ達していません。ヨーロッパのクラブに移籍する選手が増えて、着実に成長はしているけどまだ足りません。
 日本の社会構造やサッカー環境を考えれば、メッシやロナウドは生まれてきません。でも悲観することはありません。組織力で勝つことが日本のストロングポイントだと思います。メッシやロナウドがいない以上、個の力に頼るようなサッカーはできません。

 個の力を集約して、組織として力を発揮するところに日本のサッカーの良さがあり、そこにこそ伸びていく力が秘められている。日本のサッカーを強くするためには、日本サッカー協会も代表チームも、Jリーグの各チームも、組織力をしっかり磨いていくことが大切です。

プロフィール

名波 浩(ななみ・ひろし)氏

ジュビロ磐田監督 元サッカー日本代表
1972年生まれ。静岡県藤枝市出身。子どものころからサッカーに熱中。“サッカー王国”静岡にあってサッカー一筋。藤枝市内の小中学校から名門の清水商業高等学校を経て順天堂大学に進学。95年ジュビロ磐田に加入し、すぐにレギュラーとして活躍。98年日本代表の一員としてFIFAワールドカップフランス大会に出場。日本代表の「10番」を背負う。W杯後、イタリアACヴェネツィアに移籍。1年後ジュビロ磐田に復帰。2006年シーズン後半からセレッソ大阪に期限付き移籍。07年2月東京ヴェルディ1969に期限付き移籍。翌年ジュビロ磐田に復帰しシーズン終了をもって引退。ジュビロ磐田のアドバイザーを務めるとともにテレビのサッカー解説などに携わる。14年シーズン終了直前に当時J2に降格していたジュビロ磐田の監督に就任。

ジュビロ磐田監督で元サッカー日本代表の名波浩氏のプロフィール写真

(撮影:清水タケシ)
【監修:株式会社日経BPコンサルティング】
記事中の意見・見解はNECフィールディング株式会社のそれとは必ずしも合致するものではありません。

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