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2017年9月19日第6回 JRA騎手 藤田菜七子さん

藤田菜七子 騎手 コラム。JRA女性騎手の新記録を作成した藤田菜七子騎手にインタビューしました

The Game Changer

試合の流れを一気に変える人--ゲームチェンジャー。
物事の流れを根底から覆し、人々の暮らしや社会、企業活動などに変革をもたらす……。
歴史のダイナミズムとは、そのようなゲームチェンジャーたちによる挑戦の結果によるものかもしれません。
現代社会を揺り動かすゲームチェンジャーとはどのような人たちなのか。
変革をもたらす視点、独自の手法、ゴール設定、モチベーションをいかに維持するか等々、変革に挑戦した者だけが語ることができる物語を紹介します。

1レースに集中し、勝利を重ねるだけ
いつか重賞レースを勝ち取りたい

実に16年ぶりという日本中央競馬会(JRA)での女性騎手誕生に沸いた2016年春。藤田菜七子さんは、16年3月3日の川崎競馬でのデビューに始まり、これまでにJRAで15勝(2017年8月28日現在)を挙げた。海外の競馬とは異なり、女性騎手が珍しい日本の競馬界。「女性だから、男性だからという世界ではありません」と、男性騎手に交じっての戦いは「まだまだ満足できるレベルではない」という。「毎レースが挑戦。一つひとつ勝利を重ねていきたい」と、厳しい勝負の世界に挑んでいる。

競馬のテレビ中継がきっかけで騎手を目指す

――日本の競馬界では女性騎手は珍しい存在です。なぜ騎手になろうと思ったのですか。

日本の競馬界では珍しい女性騎手の藤田菜七子 騎手。競馬のテレビ中継が競馬に興味をもったきっかけ、と語る。

藤田 小学生の時、たまたま休日にテレビで競馬中継を見ていて「騎手ってかっこいいな」と思ったのが最初です。もともと動物が好きだったこともありますが……。まだ小学生でしたし、両親が競馬に興味があるというわけでもなかったので、そのテレビ中継を見ていて競馬というものがあるんだ、と初めて知りました。でも、それを見て、競馬に興味を持ったのが、本当に騎手になるきっかけなんです。
小さいころからスポーツが好きでした。競馬を知ったころは空手を習っていました。でもボールを使う競技はあまり得意ではないんです。空手を習い始めたのも、「かっこいいな」と思ったから。自分から習いに行きたいと両親に訴えました。母は弟に習わせたくて勧めていたのですが、弟より私の方がむしろ習いたいとアピールしました。

――「騎手になりたい」と言ったとき、ご両親は驚かれたのではないですか

藤田 あまり驚いた様子ではなかったです。「やりたいならやってみなさい」という感じでしたね。応援してくれました。空手を習いたいと言ったときも、それほど驚いた感じではなかったし、私が言い出したら聞かない、ということをわかっていたからでしょう。
そして、すぐに乗馬を習い始めました。JRA美浦トレーニング・センターにある乗馬苑で、小学校高学年から高校生までを対象にした「乗馬スポーツ少年団」があったので、そこに通うようになったんです。
乗馬スポーツ少年団は募集人数が少ないうえに、入れるのは美浦トレセンの近郊に住んでいる児童に限定されているんです。住んでいたのは茨城県守谷市で、美浦トレセンまで車で1時間ほど。1時間なら近郊じゃないかな?と思って応募したら入ることができました。守谷市に住んでいたのは本当にラッキーでした。
乗馬を習い始めて、絶対に騎手になりたいという思いが強くなりました。乗馬苑の横には外走路があって、そこでは本物のサラブレットを調教しています。それを見ていて刺激を受けますから、さらに憧れが強くなっていくのは仕方ないですね。最初から騎手になりたいと思っていたので。
乗馬苑には毎週土日に通っていました。週末が来るのが楽しみで、乗馬のために一週間がある、というような意識でした。学校にいても週末が待ち遠しかったです。

競馬学校に入学。でも、ついていくので精一杯

――中央競馬の騎手になるためには、JRAの競馬学校に入学しなければなりません。そのための勉強は大変だったのではないですか。

藤田 騎手になる人は父親が騎手だったり、競走馬が近くにいる環境だったり、あるいは競馬が好きな人が身近にいるという人が多いんです。私はそのどれにも当てはまりません。競馬中継を見て騎手に憧れ、そして美浦トレセンに週末通える環境だったことで、少しずつ騎手になるという目標に近づいていったのかなと思います。 中学2年生の時には、騎手を目指す人を集めたジュニアチームに入っていたので、競馬学校に関することもそこである程度までは知ることができました。足りない情報は自分で集めたり、両親も手伝ってくれました。
競馬の騎手は男性が多くて、競馬学校の同期生も全員が男性。女性騎手は私が16年ぶりですが、私自身はあまりそれを意識していないんです。とにかく馬が好きで騎手になりたいという思いしかなかったので。男性社会ということはわかっていましたが、だから夢をあきらめる、という理由にはなりませんでした。
競馬学校の入学試験は運動能力のテストと、乗馬の実技、それから何度も面接があります。そこで人間性もチェックされるわけです。もちろん騎手には体重制限もあるので身体検査もあります。ユニークなのは、骨密度も測るんです。将来どのくらい成長するか、ということがわかるんです。武道を習っていると言っても、球技は苦手で実は走るのも決して速い方ではなかったので、運動神経にはあまり自信はありませんでした。

――騎手になるための訓練は大変なのでは。

藤田 身体は小さかったし、同期生は男性ばかりなので、フィジカルトレーニングはついていくのが精一杯でした。周りが皆できて自分だけできないとなると、ものすごく悔しかったですね。朝早いのは平気ですが。
今だから言えることですが、競馬学校のカリキュラムが厳しくて逃げ出したくなったことも何度かありました。 学校は全寮制で、週1回日曜日が休みですが、当番で馬の世話をしなければなりません。競馬学校のある千葉県白井市と実家の守谷市はそれほど遠くはないんですが、日曜日ごとに家に帰るということはしませんでした。休みの日はしっかり休んでいました。

 3年間の競馬学校の最後には、騎手になるための試験があります。3年生になると、試験の半年前からは試験対策の勉強を始めます。もちろん実技は大事ですが、筆記のほか面接も何度も受けなければなりません。ここでまた人間性を問われるような質問があるんです。
競馬学校での同期は6人。気持ちの上では自分が一番だと思っているんですが、どうでしょう(笑)。実技ひとつとっても上手な人はいますし、それは卒業した今でもかなわないな、と思うところもありますね。

3年間の競馬学校時代について語る藤田菜七子 騎手。「気持ちの上では自分が一番だと思っているんですが、どうでしょう(笑)」と笑顔で思い出を語ってくれました