2017年7月13日株式会社 hapi-robo st 富田直美氏

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The Game Changer

試合の流れを一気に変える人--ゲームチェンジャー。
物事の流れを根底から覆し、人々の暮らしや社会、企業活動などに変革をもたらす……。
歴史のダイナミズムとは、そのようなゲームチェンジャーたちによる挑戦の結果によるものかもしれません。
現代社会を揺り動かすゲームチェンジャーとはどのような人たちなのか。
変革をもたらす視点、独自の手法、ゴール設定、モチベーションをいかに維持するか等々、変革に挑戦した者だけが語ることができる物語を紹介します。

人を楽にさせることが、人を幸せにするわけではない
「人々の生活を幸せで豊かにする」を目指す
ロボット会社を設立

IoT、AI、ロボットがブームだ。その波に乗り損ねることはできないと、経営者も技術者も血眼になって道を探っている。(株)hapi-robo st(以下ハピロボ)の富田直美社長は、「そんなのはまやかし。コピペに過ぎない」と一笑に付す。大事なのはベストプラクティスを追い求めるのではなく、自ら考え経験し、創造していくことなのだと説く。「そうでなければイノベーションなんて起こせるはずがない」。

最初から完璧なんてありえない

--ハウステンボスの「ロボット王国」や「変なホテル」でのロボットが好評ですね。

富田 エイチ・アイ・エス(H・I・S)の澤田秀夫社長に乞われてハウステンボスの経営顧問に就き、出席した最初の会議が「変なホテル」の開設準備会議の2回目でした。名だたるメーカーの技術者がプレゼンテーションをしましたが、そのプレゼンに片っ端からダメ出しをしたのが私です。それで経営顧問でありながらCTOとしてハウステンボスを見る立場にもなりました。  ハウステンボスでの事業の魅力は、実験的になんでもできることです。ロボットが働く「変なホテル」が好例です。それをアジャイル型の開発で進めていくというのも含めて。最初から完璧を目指してもできっこない。とにかくやってみて、不具合があれば改善していこうと。  お客様から不満が出るという意見もありましたが、ネーミングが「変なホテル」ですよ。それに、「いざとなればスタッフを総動員すればいいじゃないですか」と押し切ったんです。  とにかく着手する、というのがアジャイル型開発のいいところですね。従来のウォーターフォール型の開発では時間もコストもかかるし、完成した時にはすでに次の時代に変わっていて、もはや時代遅れ、となってしまいます。とにかく開発して、随時不具合は直すし、アップデートする。  この方針の裏には、明確なロードマップがあったからです。「変なホテル」の発表記者会見では、記者にイチを聞かれたら十を返せるくらいの自信がありました。そうでなければ「変なホテル」なんてできません。

--ハウステンボスを壮大な実験場としたわけですね。澤田社長とのつながりのきっかけはどこにあったのですか?

富田氏写真2

富田 “ベンチャー三銃士”と呼ばれる人たちがいます。パソナグループの南部靖之代表兼社長、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長、もうひとりがH・I・Sの澤田秀雄会長兼社長です。その3人を育てたといわれるのが、一般財団法人日本総合研究所を作り多摩大学なども作った野田一夫さん。その野田さんとゴルフを通じて知り合い、澤田社長とも野田さんを介して深く知り合うようになったんです。
 当時、私は外資系IT企業11社の社長をやっていました。しかし「数字に追いかけられるのはコリゴリ」と思っていて、野田さんに誘われるままに日本総研の理事に就き、経営コンサルタントをやっていました。その時に、破たんした長崎オランダ村を再建するプロジェクトチームに途中からコンサルタントとして入りました。2014年頃ですね。
 その頃私はドローンを使った空撮に熱中していて、長崎オランダ村でも、関係者から説明を受けるよりドローンで撮影した映像を見た方が手っ取り早いと敷地内で飛ばしていたんです。ほとんど私個人の楽しみで(笑)。

 西海市にある長崎オランダ村から佐世保市のハウステンボスまではそう遠くない。同じように経営破綻したハウステンボスをH・I・Sが傘下に収めていて、私が長崎オランダ村に行った帰りに澤田社長に連絡してみると、「ハウステンボスに来ているよ」という。ならば、というので会いに行き、ドローンも持っていたのでハウステンボスでも飛ばしてみせたら、澤田社長が、これは使えそうとえらく喜んで、ハウステンボスの空撮や、花火の中を飛ぶ映像を撮影しました。
 長崎オランダ村の再建は、様々な要因でうまくいかなかったこともあって手を引き、澤田社長に乞われてハウステンボスの経営顧問に就任したわけです。

ハピロボはGRPを目指す

--それがハピロボの設立につながるのですね。

富田 澤田社長から「いつやりましょう、すぐやりましょう」と催促されて……。
 花火の空撮もそうですが、彼なりに夢が膨らみ、期待も高まったのだと思います。まあ技術的な面でなかなか難しいだろうとは予想しました。それでも催促されるので、2016年7月に準備会社を設立しました。
 意外に思われるかもしれませんが、「人々の生活を幸せで豊かにする」と謳っておきながら、ハピロボではロボットを製造しません。開発者やメーカーへの助言やコンサルティングをメインにしています。メーカーには絶対になりません。工場を持ったら、それが重荷になり技術革新についていけなくなる。そこはノウハウのあるメーカーに任せて、メーカーの開発をサポートしたりコンセプトを提案したりします。ハピロボはGRP(ゼネラル・ロボティクス・プロバイダーもしくはプロデューサー)を目指しているんです。

--富田さんがロボットに興味を持つ背景には何があったのでしょうか。

富田 子供の頃、小学校の前に文房具屋さんがあって、学校帰りに寄っては何かおもしろいオモチャはないかと物色していました。これは、と思うものがあると家に飛んで帰って、母に「すごいものがある。それを手に入れれば僕は幸せになれる」とねだるわけです。
 お金をもらって、文房具屋さんに取って返して買ってくる。しかし最初に夢を膨らませたものでないとわかると、ガックリきて返品に行くんです。文房具屋さんのおばちゃんもわかったもので、それを許してくれる。
 例えばヘリコプターのオモチャ。ヘリコプターなら飛ぶだろうと想像する。しかし飛ぶわけないですよね、子供のオモチャですから。それで返品してしまうんです。
 少し大きくなると、近所のお兄ちゃんが飛行機の模型を上手に作っている。それを飽きもせず眺めていると、だんだん親しくなる。すると「飛ばしてもいいよ」と言ってくれる。
 その時に自覚しました。「ボクは作るのも上手いけど、本当は作るよりも飛ばすことが好きなんだ」と。そのうち、お兄ちゃんたちの模型飛行機のテストパイロットになるわけです。飛ばすのが上手でしたから。私が飛ばすと墜落しないんです。

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 社会人になると、模型飛行機はラジコンの時代になっていました。そこで日本選手権や世界選手権に出るようになり、メーカーに行って部品や材料に改良を要求する。「選手権で勝てれば私は幸せになれる。だから最高の部品を作ってくれ」というわけです。それもアドバイスしてコンサルフィーももらって。メーカーだって、勝てる部品を作ってビジネスになれば嬉しいはずじゃないですか。そういう論理ですよ。そんなこともあって、今は自称“ラジコンの神”を名乗っています(笑)。

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