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2016年9月29日第2回 株式会社ベンチャーウイスキー 社長 肥土伊知郎氏

--東亜酒造の原酒は売れたのですか?

肥土 シングルモルトは、例えばサントリーなら「山崎」「白州」、ニッカウヰスキーなら「余市」といったように、蒸溜所がある地名を商品名にするのが定番です。本場のスコッチウイスキーでも同じ。しかし羽生蒸溜所で造った原酒だからといって「羽生」にしてしまったら、せっかく名前を憶えてもらった時には原酒がなくなってしまいます。そこで、名前でいこうと決めて、最初は苗字を使い「アクトーズ・モルト」にしようと思ったが語呂が悪い(笑)。なので、名前を使って「イチローズ・モルト」というブランドで売ることにしました。名前をブランドとして使う例はよくあるのです。有名な「ジョニー・ウォーカー」や「ジャック・ダニエル」などがそうですね。  最初は自分で東京を中心にバーを回りました。バーテンダーさんの話を聞いたり、羽生蒸溜所のモルトを紹介したり。2年間で延べ2000軒くらいは回ったでしょうね。そこで語り合ったことが非常に役立ちました。  バーテンダーさんは同業者と横のつながりがあって、自分の弟子の店を紹介してくれたり、こちらが「近所にいいバーはありませんか」と聞くと教えてくれたり。この時期は楽しかったですね。「いずれ蒸溜所を造りたいんだ」と夢を聞いてもらって、バーテンダーさんも「いいものができたら扱わせてください」なんて言ってくれました。

--秩父に蒸溜所を造った理由を教えてください。

肥土 埼玉は自分が生まれた土地ですし、地元には協力してくれる人も多かったので。また、酒造りをしていた場所なので水がいいということもあります。  蒸溜所を作るための準備として、本場のスコットランドもメインランドやアイラなどくまなく回りました。ウイスキー造りの知識も足りないと思っていたので、最初は大手の見学コースがあるような蒸溜所を回りました。しかし、私が考えている規模よりはるかに大きいので、あまり参考にはなりませんでした。そこで小さな蒸溜所を回るようになり、ずいぶん教えてもらいました。「日本で小さな蒸溜所をやりたい」と話すと、気軽に教えてくれるんです。ただ、彼らの経験の中で「蒸留液は“ここ”で切るんだ」と言われても、その「ここ」という感覚がわからない。なかなか奥が深い世界だぞ、と覚悟しました。  秩父蒸溜所の完成は2007年11月です。2008年2月にウイスキー製造免許が取れて、秩父での製造が始まりました。蒸留に使うポットスチルは、本場スコットランドのフォーサイス社に発注しました。長年ポットスチルを製造している会社で、豊富な経験とノウハウを持っています。蒸溜所の規模や味わいなどを伝えると、このタイプがいいと具体的に提案してくれるんです。日本にもポットスチルを作るメーカーはありますし、完璧な設計図を持っていけば完璧に仕上げてくれますが、当時の自分たちに、味に合わせた設計図を作るようなノウハウと経験はありませんでした。  2008年に仕込みを始め、2011年に最初のモルトウイスキーを出荷しました。今、蔵の中にあるのは、最長でまだ8年物のモルトということになります。熟成させる樽にはワイン樽も使いますし、シェリー樽、バーボン樽、ミズナラ樽も使います。また、発酵槽にもそのミズナラを使用しているというのも秩父蒸溜所のユニークさの一つです。

取り引先や支援してくれた人と「30年物」を飲むのが夢

--「イチローズ・モルト」はたいへん好評で、なかなか手に入らないと聞きました。

肥土伊知郎 2

肥土 英国のウイスキー専門誌のモルト部門で賞をもらうことができて、少しは知名度が上がったかなと。ただ小規模なので大量生産ができず、ご要望に応えられていないのは残念です。今の規模は、最大3交代で1日3仕込みすれば年間9万リットルを生産することができます。もっとも、寝かせていると「天使の分け前」といって揮発する分があり、若干減るのですが。昨年からは1日2仕込みを試験的に行っており、それがしっかりとできれば少しは生産量が増やせそうです。今はこれくらいの規模が適正だと考えています。まだまだ工夫は続けなければなりませんし。ちょっとした違いで風味が変わってくるので手が抜けないんです。今まではベンチャーウイスキーのブレンダーは私だけでしたが、後進の育成も始めました。  1人で始めたベンチャーウイスキーは、今では社員13人とパート社員が数名という規模になりました。社員は皆、ウイスキーが好きで、仕事が終わった後にウイスキーの雑誌を読んだり、休みの日には都内のバーを回るなど、仕事なのか趣味なのかわからないところが嬉しいですね。